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正式的名稱是 [小倉百人一首]
最初是鎌倉時代的藤原定家在1235年(文曆2年)
被委託在京都嵯峨野的別墅「小倉山莊」所設計的和室門上的裝飾圖樣
是藤原定家挑選從天智天皇到順德天皇間的傑出歌人100人及其一首作品
稱百人一首
又稱小倉百人一首
把這些詩歌集成冊
在 5月27日出版
成為必讀的和風詩集
百人一首 (11~21)
(十一) 参議篁(さんぎたかむら)
わたの原 八十島(やそし)かけて こぎいでぬと
人にはつげよ あまのつり舟(ぶね)
(十二) 僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
天(あま)つ風 雲のかよひ路(ぢ) 吹きとぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ
(十三) 陽成院(ようぜいいん)
つくばねの 峰よりおつる みなの川
恋(こひ)ぞつもりて 淵(ふち)となりぬる
(十四) 河原左大臣(かわらのさだいじん)
みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに
みだれそめにし 我(われ)ならなくに
(十五) 光孝天皇(こうこうてんのう)
君がため 春の野に出でて 若菜(わかな)つむ
わが衣手(ころもで)に 雪はふりつつ
(十六) 中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)
立ちわかれ いなばの山の 峰に生ふる
まつとし聞かば いまかへりこむ
(十七) 在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)
ちはやぶる 神代(かみよ)もきかず 竜田川(たつたがは)
からくれなゐに 水くくるとは
(十八) 藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)
住(すみ)の江の 岸(きし)による波 よるさへや
夢のかよひ路 人目よくらむ
(十九) 伊勢(いせ)
難波潟(なにはがた) みじかき蘆(あし)の ふしのまも
あはでこの世を すぐしてよとや
(二十) 元良親王(もとよししんのう)
わびぬれば いまはたおなじ 難波(なには)なる
身をつくしても あはむとぞ思ふ
百人一首 (11~21)
(十一) 参議篁(さんぎたかむら)
わたの原 八十島(やそし)かけて こぎいでぬと
人にはつげよ あまのつり舟(ぶね)
(十二) 僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
天(あま)つ風 雲のかよひ路(ぢ) 吹きとぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ
(十三) 陽成院(ようぜいいん)
つくばねの 峰よりおつる みなの川
恋(こひ)ぞつもりて 淵(ふち)となりぬる
(十四) 河原左大臣(かわらのさだいじん)
みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに
みだれそめにし 我(われ)ならなくに
(十五) 光孝天皇(こうこうてんのう)
君がため 春の野に出でて 若菜(わかな)つむ
わが衣手(ころもで)に 雪はふりつつ
(十六) 中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)
立ちわかれ いなばの山の 峰に生ふる
まつとし聞かば いまかへりこむ
(十七) 在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)
ちはやぶる 神代(かみよ)もきかず 竜田川(たつたがは)
からくれなゐに 水くくるとは
(十八) 藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)
住(すみ)の江の 岸(きし)による波 よるさへや
夢のかよひ路 人目よくらむ
(十九) 伊勢(いせ)
難波潟(なにはがた) みじかき蘆(あし)の ふしのまも
あはでこの世を すぐしてよとや
(二十) 元良親王(もとよししんのう)
わびぬれば いまはたおなじ 難波(なには)なる
身をつくしても あはむとぞ思ふ
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